【ノーベル化学賞】分子トポロジーと分子マシン
スウェーデン王立科学アカデミー(The Royal Swedish Academy of Sciences)は5日,2016年のノーベル化学賞受賞者を発表しました.1 受賞者は, Jean-Pierre Sauvage,J. Fraser Stoddart,Bernard Feringa の3名です.
ノーベル医学・生理学賞は大隅良典さんが単独で受賞され脚光を浴び,同じ一研究者として私も非常に嬉しく思うのですが,ノーベル化学賞の内容もなかなか興味深いものであったのをご存知ですか?
受賞理由は "for the design and synthesis of molecular machines" (分子マシンの設計と合成による)とのことです.はてさて,分子マシンとはなんぞや?
分子トポロジーと分子マシン
知恵の輪とトポロジー
みなさん,知恵の輪とかやったことありますか?私はパズルが好きで,小さい頃は色々なタイプのもので遊んでいました.
そうそうこんな感じのとか.
複雑な形をしたものもありますよね.複数のリングは,端点どうしが繋がっていないんですが,引っ張っても外れないような形状をしています.こういった,ものの形状を取り扱う学問は「位相幾何学」英語で Topology(トポロジー) という数学の一分野に属するのですが,実は合成化学の世界ではこういった形状の分子を作る研究が盛んに行われてきました.
1人目の受賞者 Sauvage 教授
最もシンプルな知恵の輪のような形状をした分子が,1960年にベル研究所の Edel Wasserman によって報告され,「カテナン」と呼ばれるようになりました.2
しかしながらまだまだこの形状を効率良く得ることは難しく,その反応率は0.0001%程度でした.その後も多くの研究者が効率の良い合成方法を考案するも失敗が続きます.そんな中,1980年台の始めにフェナントロリンとCu+を用いた画期的で高効率な合成方法が報告されました.その報告を行った人が,1人目の受賞者である Sauvage 教授です.3(原文はフランス語なので注意)
う~ん,高校化学の範囲だとこんな立体的な合成って見ないですよね.Cu+の配位先が四面体構造であることをなかなかうま~く利用していて,面白い.この合成方法はカテナンの研究を大いに進めることになりました.これが受賞の大きな理由です.
ちなみに,こういったトポロジカルな形状によって形を保っている分子のことは Interlocked molecule と呼ばれます.このような錯体の立体的な配向を利用する合成は鋳型合成とか,金属テンプレート法などと呼ばれます.
2人目の受賞者 Stoddart 教授
このようなトポロジカルなアプローチによる分子合成の研究はその後も進みました.2人目の受賞者である Stoddart 教授は,3つのリングが相互に絡まった形状をした,「ボロミアンリング」の分子合成に成功します.4
Stoddart 教授のボロミアンリングなどに関する講演がこちらから見れます.ジョークや機知に富んだ講演なのでオススメです.
Fraser Stoddart: Mingling Art with Science
また Stoddart 教授は他にも複雑な形状をした分子をどんどん編み出します.その1つが分子シャトルです. 5
これはダンベルのような形をした分子の総称である「ロタキサン」に属するのですが,電荷の有無によって図中で青色に示されたリングが左右に動くんですね.分子レベルの世界で,「何か正しい入力を加えた結果として,何かの挙動が出力される」という,機械のパーツのようなものが出来たわけです.
Press Release でも紹介されていますが,こういったものは "molecular-level machine" と呼ばれるようになり,"an assembly of a distinct number of molecular components that are designed to perform machinelike movements (output) as a result of an appropriate external stimulation (input)" と定義されるようになりました.6
Stoddart 教授は他にも分子エレベーター7や分子メモリの発案などもしてますが,今回は割愛.
3人目の受賞者 Feringa 教授
Feringa 教授は,オレフィンを利用したモーターのようなものを作りました.
この分子に光を照射すると一部分が一方方向にのみ回転されるのです.
回転する様子8
ぐるぐる~と回転します.かわいいですね.このようなモーターを利用して,ナノスケールのミニカー,じゃない,ナノカーを走らせたりする,ちょっと面白い試みもされています.
A four-wheeled molecule moving on a metal surface
そうそう,こんな感じです.
ミニカー?いえいえ、今の時代はナノカーですよ!髪の毛のおよそ2万分の1の大きさしかない一分子の車で、ちゃんと"車"らしくフラーレンタイヤも回るようにできているそうです!花陽、こういう分子を見ると心がウキウキしちゃいます♪ pic.twitter.com/Wh69Tz9s4Q
— 芳香族化合物を愛してやまない花陽bot (@Aromatic_hanayo) 2016年10月6日
そうですそうです.はい.
ナノカーに限らず,分子たちに我々の現実世界にある様々な挙動を行わせる研究もなかなか最近盛んなので,興味があったら調べてみてください.
研究意義
研究背景の説明は以上になるのですが,よくやり玉に挙げられる質問「んで,その研究が何の役にたつの?」っていうのがあると思います.内容を見れば分かる通り,これはまだまだ本当に基礎研究段階で,何に応用されるのかなどの具体的な検討はついていません.しかしながら,2つの発展方向があると考えられています.
1. ミクロな化学反応制御
ナノスケールの挙動をそのまま化学反応などに応用しようという方向性
2.マクロな機構への応用
ナノスケールの挙動をうまく拡大・増大させ,実際に機械のように用いる方向性
おわりに
まだまだこれからのさらなる研究が期待される分子トポロジー及び分子マシンの世界.目先の実用性だけに囚われて科学のブレイクスルーを逃してしまうのは勿体無いと思います.これからも世界中の研究者達がより斬新で奇抜な研究をしていくことを期待します.
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参考文献
- Wasserman, E., "The Preparation of Interlocking Rings: A Catenane", J. Am. Chem. Soc. 1960, 82 (16), 4433–4434.
- Dietrich-Buchecker, C. O.; Sauvage, J. P.; Kintzinger, J. P., "Une nouvelle famille de molécules: Les métallo-caténanes", Tetrahedron Lett. 1983, 24 (46), 5095–5098.
- Kelly S. Chichak, J. Fraser Stoddart, et al., "Molecular Borromean Rings", Science 2004, 304 (5675), 1308-1312
- Anelli, P. L.; Spencer, N.; Stoddart, J. F. "A Molecular Shuttle", J. Am. Chem. Soc. 1991, 113 (13), 5131–5133.
- Balzani, V.; Credi, A.; Raymo, F.; Stoddart, J. "Artificial Molecular Machines", Angew. Chem. Int. Ed. 2000, 39 (19), 3348–3391.
- Badjić, J. D.; Balzani, V.; Credi, A.; Silvi, S.; Stoddart, J. F. "A Molecular Elevator", Science 2004, 303 (5665), 1845–1849.
- Feringa group - organic chemistry and nanotechnology